1952年、貴族出身のユペールードムソバンシイ(27年〜、フランス生まれ)がパリでクチュールメソンを開く。同年「ペティーナーブラウス」と呼ばれる、衿開きが大きく、フリルの付いた白いコットンブラウスを発表。パリのトップモデル、ペッティーナーゲラツィーニにちなんで名付けられたこのブラウスはジバンシイの名を一躍世界に広めた。また、ヨーロッパやアメリカでコピー商品も大流行。その後、彼の名声を決定づけたのが、女優オードリーヘップバーンとの出会いである。彼女の2作目の主演映画「麗しのサブリナ」のデザインを手掛けて以降、「パリの恋人」や「ティファニーで朝食を」「昼下がりの情事」など、ヘップバーンの映画には欠かせないデザイナーとなった。
ファッションを作り出す企業の数を見ていこう。ファッションが店頭に並ぶまでの過程をビジネスとする企業はおよそ6万社といわれるが、経済産業省の2005年工業統計確定値では、日本標準産業分類の大分類「製造業」の「繊維工業」に属する事業所は2万4235社、「衣服・その他の繊維製品製造業」の事業所は2万9328社となり、前回調査よりもさらに事業所数は減少した。2006年速報値では、従業者4人以上が7257社、「衣服・その他の繊維製品製造業」の事業所1万3211社となり、この傾向は止まらない。アパレルメーカーが分類される「衣服・その他の繊維製品製造業」で最もボリュームが大きいのは、「成人女子・少女服製造業」。おしゃれな男性が増えたとはいっても、メーカー数で4・7倍にも達している。それだけに女性ファッションの競争は激しく、約7000社がしのぎを削っている。
北方地域に目を転じるならば、現代のいわゆるスーツ=ツーピースに連なるような衣裳が現れている。アンソニー・ヴァンーダイクが描いたギーズ公アンリードーロレーヌ2世の肖像画には、ゆったりしたパンツとジャケットに近い衣裳が登場している。ヴァンーダイクは1599年に生まれて1642年に没しているので、チャールズ2世の衣服改革宣言以前にツーピースの原型は誕生していたことになる。チャールズ2世と同時代を生きたフランスのルイ14世は、モードをつくりだそうとはしなかったが、それでもファッションをめぐるエピソードは多い。なかでも1660年に贈られた靴は、現代の靴職人やデザイナーにも大きなインスピレーションをあたえる源泉となっている。ボルドーの靴職人ニコラ・レトランジュが王の婚礼用に贈ったもので、爪先がスクエアになっていて、師は赤くて、しかも凝った紐結びで飾られてあった。20世紀末になって復活したスクェアトゥのルーツは、このレトランジュの作品だ。さて、サヴィルロウの発展が加速した18世紀末から19世紀初頭、英国ではカントリージェントルマンという世界が確立していく時代にもあたる。彼らはシルクではなくウールを積極的に着用し、あえて大いなる田舎を表現したのだ。飾り立てる華美な服装を拒否し、質素でストイックな生活ぶりをニュアンスとして浮かび上がらせるような服装だ。そうした衣裳哲学というか衣服思想は、都市部においても静かな支持を集めた。ボー・ブランメルはもちろんこの時代を生きたダンディズムの確立者だが、他にも時代精神を体現した軒は多い。